発酵と腐敗と微生物と人間と

fermentation

私はいくつかの発酵食品を自分で作っています。発酵食品は生きているので作るには毎日のようにかき混ぜたりとそれなりに手間暇が掛かりますが、きちんと手間をかければそれに応えるように美味しく、そして身体にとっても良い食品になります。

でも改めて「発酵」って何なのでしょうか。

発酵とは、「微生物の働きで有機物(狭義には糖質)が分解され、特定の物質を生成する現象」とあります(『デジタル大辞泉』参照)。

一方、同じような微生物の働きには「腐敗」もあります。

腐敗とは、「有機物(狭義にはタンパク質,アミノ酸)が微生物の作用によって分解され、有毒物質を生じたり悪臭をはなつようになったりすること」です(同参照)。

「発酵」「腐敗」どちらにも共通しているのは、微生物によって有機物が分解されるということです(このように複数のものに共通したものを見つける見方を「抽象度を上げて観る」といいます)。

ではなぜ微生物は有機物を分解するのでしょうか。

それは、微生物にとって生きるための「食事」をするためです。

つまり微生物による「分解」とは、微生物による「食事」のことを指しています。

そして、その微生物による「分解」=「食事」の結果を、「発酵」といったり「腐敗」といったりしているわけです。

では「発酵」と「腐敗」の使い分けはどうなっているかというと、

「発酵」・・・人の役に立つ食べ物を(微生物の分解によって)生み出すこと。
「腐敗」・・・食品が(微生物の分解によって)人が食べられないものとなること。

のようになっています。

すなわち「発酵」と「腐敗」という2つの言葉の違いは、単に私たち人間の(食べられるか、役に立つかという)基準によって使い分けられているにすぎません。

つまり人間の都合ですね。

微生物にとっては、自分たちは食事をしているだけなんだから、そんなこと知ったこっちゃない、ですね。

 

このように一つの物事(概念)を、視点を上げて観たり、視点を下げて観たりすることで(「抽象度の上げ下げ」といったりします)、自分が囚われていた視点や固定観念(信念)が壊われ、今まで見えていなかった物事の関係性が見えてくることがあります。

特に私達人間は、無意識に人間中心の見方をしてしまい、その他の生き物や自然環境などに注意を払わず、蔑ろにしがちです。

まるで人間以外は存在していないかのように。

でも人間は、人間だけでは存在できないのは当たり前のことですよね。

私が作っている発酵食品はいつもそのことを私に教えてくれています(教えているつもりはない、食事の邪魔をするな、と微生物には言われそうですが)。

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