コーチの歴史(2)

Kochi昨日紹介した「コーチの歴史」に関連するコチ博物館の資料を紹介します。

コチ博物館はいわば郷土資料館のようなものですが、今まで訪れた郷土資料館の中でこんなにも一つひとつの展示物をじっくりと見て体験したのは初めてかもしれません。


「(コチのコーチの)絵として最も古いものは1568年にエレミアス・シュメル氏が描いたものです。」

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コチ博物館にはこの絵をもとにしたと思われる復元馬車が展示されています。

KOCSI

ロープに囲わ展示されていたので復元された馬車に乗れるとは思いもしませんでしたが、村長さんが「乗ってみて」と勧めて下さったので乗車してみました。

私が座っている一番上の席が一等席(2名)でその下が2等席(2名)となっていたようです。一番手前が御者席となります。

動いていないので乗り心地は分かりませんでしたが、車高が高いので眺めや座り心地は良かったです。

「コーチ」の特徴は、車の振動をやわらげるために、吊紐などの懸架式やスプリングなどを車体と車軸の間に組み入れたものですが、この時代のものは車輪と籠との間の垂直の湾曲した木のバーがその機能を果たしていたのでしょうか。

スプリング式の4輪馬車がコチの発明であることが書かれている文献がありますが、残念ながらそれに関する資料はこの博物館では見当たりませんでした。

各国に広まる中で、更に快適性や機能性を高めるために、屋根を付けたり鉄製のスプリングを取り入れたりと改良が加えられていったのだと思います。

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「コチ村は、ハンガリーで最初のステージコーチを使用した郵便馬車制度における、休憩所と食事をとる場所でした。」

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上の図はマーチャーシュ王が、ブダペスト(図右端のBUDA)とウィーン(図左上端のBÈCS)を結ぶ道に設置した、ハンガリーで最初の郵便馬車制度における駅です。

この道路にそって、4マイルか5マイルごとに休憩と食事をとる場所(駅)が設けられ、その駅の一つがコチ(KOCS)でした(馬も高速で長距離は走れないので駅毎に取り替えられたのだと思います)。

この郵便馬車の駅であったことが、コチの車大工が、馬車製造における改良(農作業用ワゴン→軽量高速な乗用馬車)を成し遂げられた理由とされています。

 


「コーチ(という高速軽量の乗用馬車)が、西欧に広まったのは15から16世紀に遡ります。初めにイタリアとオーストリアで使用されました。その後、神聖ローマ帝国の国々やスペイン、フランスでも使用されるようになりました。更にオランダやフランドル地域、イギリス諸島へと広がりました。これがcoach[kocsi]という単語がヨーロッパに広がった理由です。

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少し見づらいですが、上の図は、コチ製の馬車が西欧諸国に広まっていった様子を描いたものです。

1世紀もの間に急速に広まっていったので、コチ製の高速軽量な旅行用の馬車が各国の国王などに気に入られ愛用されたのだと思います。

コチの車大工のマインドから始まったコーチ(馬車)が外側に広がっていく様子とも見え、こういう絵を見るとコーチの私は嬉しくなります。

 


「この展示場では、馬車職人や鍛冶屋がコーチを作る工程で使用した全ての種類の道具を展示しています。馬具製造人によって作られた馬車や馬の馬具を復元品によって、15世紀にコチで作られていたコーチの実際の寸法とその材料を見学者は確かめることができます。」

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他の文献も参照すると馬大工(馬車職人)というのは、その当時の大工の中でも最も高い技術力を要求されたようです。

馬大工になれない人(その技術を持っていない大工)が家を作る大工になったと言われる程のようです。

15世紀当時のコチの馬大工の道具や製造工程をみただけでも、コチの馬大工達が優れた想像力と高い技術力を誇っていたことが伺い知れます。

 

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