昨夜、下北沢で行われた演劇を観に行く前に、同じく下北沢にあるカフェに立ち寄りました。
そのカフェは「Bear Pond Espresso」。
コーヒー通の人でこのお店を知らない人はいないのではないでしょうか。
最高に美味しいエスプレッソやラテが飲めるお店で、一度飲むとやみつきなります。
ここのコーヒーを飲むためだけに下北沢でわざわざ途中下車してしまう人がいるというのも頷けます。
このお店のコーヒーがなぜ他とは違うのかというと、オーナーの田中勝幸さんのフィロソフィー(哲学)が他の人と違うからです。
そして、その田中さんのフィロソフィー、つまり生き方そのものをコーヒーとして表現しようとしています。
田中さんがどんな哲学を持って生きているのかは、「コーヒーの人」を読んでみると分かると思います。
この本で書かれている彼の哲学は強烈ですが、それだけに人を惹きつける魅力があります。
美味しいエスプレッソを作る人は沢山いるけど、それなら自分ではなくてもいいと思う。
自分はエスプレッソの未知なるものを見つけたい、それなら自分にしかできないと。
いくらそれが上手にできたとしても「僕じゃなくてもいいじゃん」と思ったら、もうそれは辞めるという田中さんのフィロソフィーは、私も大いに頷くところです。
私は以前会社勤めをした時、仕事もそれなりに成果をあげ、周りにも評価を頂いていたと思うのですが、ある時気付きました。
「この仕事、僕じゃなくてもいいじゃん」と。
もちろん会社はある一人に大きく依存している状態だと、その人がいなくなったら事業が継続できなくなってしまうので、他の人に替えがきくようにシステム化することも必要になってくるでしょう。
その時、考えました。
「もし自分が会社を辞めたらどうなるんだろうか」と。
そして、しばらくは混乱が続くだろうけど、会社が潰れるような事態になることはなく、時間がある程度経てば自分がそこに存在したことすら忘れるぐらいに普通に仕事が回っていくのだろうな、と感じました。
それなら「僕じゃなくてもいいじゃん」と。
私は取り替えの効く歯車みたいな人生は送りたくないと思いました。
これが私がその勤めていた会社を辞めようと思った理由の一つです。
だからこそ、今では「僕でなければできない」ことかどうかが、それをやるかどうかの一つの基準となっています。
田中さんの淹れてくれた美味しいコーヒーを飲みながら、改めて「僕でなければできない」をやっているかを意識に上げることができました。