お店にBall社製のMason Jar(メイソンジャー)がたくさん置いてありました。販売から100年以上経つ現在でも頑丈な保存容器として使われています。最近ではカフェでサラダを入れる容器として使われたり、ヴィンテージ感のあるランプケースに加工して使われるなど、単なる家庭用保存容器という枠を超えて使われる人気商品です。
私も単なる保存容器というよりは他の用途として使いたいと思っており、この瓶を使ったアイディアがいくつか浮かんでいます。
瓶を単なる保存容器として見ている時は、そこに何かを入れる、満たす、詰め込むという視点で対象を無意識に見ています。
一方、それを他の用途として面白く使えないかと創造力を働かせながら見ている時は、それから可能性を引き出す、新しい価値を付加する、過去などの枠に囚われないようにするなどという視点で対象を無意識にみています。
同じ対象であっても、「入れる」「引き出す」という正反対の視点によって、得られる結果が変わってきます。
これは人が対象であっても同じでしょう。
人間は単なる保存容器ではありません。
それにもかかわらず、学校教育では今でもまるで子どもたちを保存容器のように扱い、単なる知識の詰め込み、暗記教育が当然のように行われています。
そこには子どもたちに「入れる」という視点で教育がされているからでしょう。
子どもたちから「引き出す」という視点で教育がされた時、その結果は今とは全く異なったものになるはずです。