連日、大リーグのイチローの安打記録達成へ向けた記事を見かけます。記録達成に近づくにつれ、それに対する報道もヒートアップしているようです。
本日時点で、ピート・ローズの持つ歴代最多安打4,256本まで日米通算であと1本、3,000本安打まで残り23本と、今シーズに入ってからその記録達成へ向けて当初予想より早いペースで安打を積み重ねています。
20年以上もハイ・パフォーマンスを維持し続けているイチローはすごいなと思いますし、そのマインドの使い方にもコーチとして興味があります。
記事を読んでいると、記者が記録達成に関連した質問をしていても、イチローはそれらの記録には関心を示さず、日々淡々とした受け答えをしています。そして、自分の基準に従って日々プレーをしているように感じます。
記者は何とか記事にしようと、これらの記録をゴール化して質問しているのを見ると、私は違和感を抱きます。
イチローにとっては、これらの記録は彼のゴールでは無いのだろうと、そのやり取りから感じることができます。
そして、きっと勝手に俺のゴールにするなとさえ思っているのだろうな、というのも言外に伝わってきます。
イチローのゴールが何かは私は知りませんが、彼の持つゴールに相応しい自己イメージに強い臨場感を持ち、ゴールからくるコンフォートゾーンの中で(或いはそれに近づくため)日々トレーニングやプレーをしているのだと思います。
そのため、それらの記録が達成されたとしても、それはイチローにとってのコンフォートゾーンの中の出来事に過ぎないのだと思います。
それを一生懸命、記者達がゴール化しようと質問している姿を見ると、記者やインタビュアーの人達にもコーチングを学びコーチの役割をして欲しいなと感じてしまいます。これはイチローの件に限らず、記者やインタビュアーの人達からいつも感じることでもあります。
もし記者達の投げかける質問の通りに行動するとしたら、それこそ、その記録を達成してしまった時点で、エネルギーや創造性は枯れてしまうでしょう。
イチローは記者の言うことには耳をかさないからこそ、これまでハイ・パフォーマンスを維持し続けているのだと思います。
そして、記者が併せてコーチの役割をしてくれたとしたら、それこそもっともっと素晴らしい記録や何か素晴らしいことが成し遂げられるのではないかと、日々の記事を読んでいて感じています。
写真は、数年前、シアトルにあるTPI本部へトレーニングに行った際に、セーフコ・フィールド球場で撮ったものです。
イチローがまだシアトル・マリナーズにいて、ちょうどダルビッシュとの対戦を見ることができました。イチローがダルビッシュから鮮やかにヒットを打ったのを今でも覚えています。