雨が降り高層ビルの上の方は霧がかかり見えなくなっていました。曇り一つなくくっきりと見える綺麗な景色や夜景も好きですが、霧がかってよく見えない景色も好きです。
なんで霧がかったよく見えない景色が好きなのかなと考えてみると、日ごろから道のりの見えない現状の外のゴールに向かっているからだと思い当たりました。
ゴールも抽象度が高くなってくると、達成方法が見えないばかりか、ゴールさえもハッキリとした映像では見えません。
まさに視界不良のような状態です。
視界不良だといっても、見えない部分には何かがあることを知っています。
まだ見たことはないけれど、ゴールを達成するためのリソースが確かにその霧の中に存在していることを信じています。
「霧がかかっているから見えないし分からない、だから諦める」のではなく、霧がかかっているからこそ向かい甲斐を感じさえします。
見えないことは、私の想像力と創造力を逞しくしてくれます。
もし全てが見えているのだとしたら、私の想像力も創造力も育つことはないでしょう。
見えているから確信するのが普通の考え方でしょうが、私は「見えていないけど、どこかにそれは存在しているはずだ」という見えないものを確信しています。
視界不良でも何も恐れることはありません。
それはどこかに存在しているのですから。