文章を書いて読み直してみると、必ず何箇所の書き間違いを見つけます。ローマ字入力から漢字変換をする際に同音異義語に間違って変換してしまったり、「てにをは」が間違っていたりと。
このTAJIMA+の一つの記事はそれほど長くはなく500文字〜1000文字程度だと思いますが、それでもざっと書いてから読み直してみると必ず数箇所は間違いを見つけます。
読み直して間違いを見つけたものは、その場ですぐに訂正しますが、それでも気付かなかったものが過去の記事でも沢山残っていると思います。
おそらく、読んで頂いている方は、その間違いにすぐに気付くことが多いと思うのですが、筆者自らのチェックには限界があります。
チェックする際は、文字そのものを読んでいるというよりは、流れで読んでいるので、頭の中で間違いを勝手に変換してしまい正しいものが書かれているように認識してしまうからです。
講義で板書する際にも、講義が終わった後で誤字に気付くこともありますし、気付かないまま聴講者だけが気付いている、或いは双方とも気づいていないこともあるでしょう。
そういった認識(認知)の仕方は、スコトーマ(心理的盲点)を生み出す危険を孕んでいると危惧を抱く一方で、人間の持つ補正能力にも感嘆せずにはいられません。
本にも必ずと言っていいほど誤植があります。
誤植のない本は無いとも言われるほどです。
本が出来上がるまでには、筆者のみならず、編集者、校正者など何人もの人がチェックしているにも関わらずそれでも誤植があるわけです。
私は人の認知というものに対して興味があるので、誤植がなぜ生まれ、そしてなぜ無くならないのかといったことにも興味があります。
そういう興味があるからか、作家、編集者、校正者、学者など53名による本の誤植にまつわるエピソードを纏めた「誤植読本」という本をたまたま見つけ読んでみました。
誤植によって意味が全く変わってしまったまま出版され冷や汗を書いたエピソードの例の中には、思わず吹き出してしまうものありました(電車の中で読む時はご注意を)。
著者にとっては、誤植があるまま活字になり世の中に出回るのは避けたいものであり、誤植や校正ミスは一般的にネガティブなイメージがあります。
でも中には誤植が怪我の功名となり、著者が書いている時には気づかなかった新たな創造性の種になることもある、というポジティブな側面があるというエピソードには興味を惹かれました。
ミスやエラーは、それが致命傷に繋がる場合など、根絶する必要があるものもあるでしょう。
でも時として、それらが、今までには自分が気づかなかったスコトーマを外してくれる役割を果たしてくれることもあるはずです。
日ごろミス(エラー)探しばかりしていないで、時にはミス(エラー)が起点となって発想する創造性も楽しみたいものです。