馬車馬

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ハンガリーの隣、オーストリアの首都ウィーンでは道路を走る馬車を何台も観ました。

もちろん普通の移動手段として使われているのではなく観光客向けの馬車です。

ただ、車が登場する前の時代、馬車が移動手段として使われていた当時の建物が多く残されており、馬車が走る姿は街並みとよく合っていました。

日本において、馬車は、お祝い事や特別な行事、そして観光地のごく一部で見かける程度です。

新宿や渋谷などの都会の道路を日常的に馬車が走っていたら驚いてしまいますね。ウィーンではそれが日常の光景として見られます。

それでも、馬車が移動手段であった当時、この街なかに何百もの馬車が走っていたかと思うと、すごい光景と匂いだっただろうなと想像してしまいました。

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昨日は、日本に新しく着任した外国大使の送迎のために使われる「儀装(ぎそう)馬車」のネット記事が目に入ってきました。新任大使は、その馬車に乗って皇居で行われる「信任状捧呈式」に向かいます。昨日はカザフスタンとキルギスの大使を乗せたそうです。

このように、馬車に興味を持った途端、それに関連する情報が手に入るものです(コーチングではそれをR.A.Sの機能として説明します)。

更に、今日行われた「コーポレートコーチング」の講義の中では「馬車馬のように働く」という言葉が耳に入ってきました。

その言葉に明らかに今までとは違う反応をしていた自分を感じました。

馬車の重要性が自分の中で相当上がっているようです。

 

「馬車馬」とは、文字通り、馬車をひく馬のことです。

そして「馬車馬のように働く」という使い方をすると、馬が馬車を力強く引っ張っていく姿から連想して「すごい馬力でがむしゃらに働く」という意味で捉える人が時々見られます。

しかしながら、その用例で使われる「馬車馬」の本来の意味は、『(馬車馬が目の両側におおいをつけて前方以外は見えないようにしてあるところから)わき目もふらずに、いちずに物事をすることのたとえ(大辞泉より)』というものです。

ウィーンで見かけた馬車馬も確かに目の両側におおい(ブリンカー)をつけていました。
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馬車馬にブリンカーをつけるのは、真横や後方など周囲の視野が目に入らないようにして、前方への進行方向だけに集中させるためです。

馬の視野は約350度もあるので、周囲の自動車や道路沿い人などに驚いてしまわないようにするためでもあります。

それは言い換えると、ブリンカーによって、前方以外の周囲を意図的にスコトマに隠しているということです。

 

私たちが日ごろ認識しているものも、このブリンカーのように視界を遮られたごく一部のものでしかなく、それ以外はスコトマになっていて認識できていません。

そして、ブリンカーを付けているということすら気づいていません。

ゴールに関係するもの以外のものが見えないというのは、ゴール達成のためにはとても重要な事でもあり、ブリンカーのようなマインドの機能は必要なものでもあります。

でも、馬車馬のように他の誰かにブリンカーを付けられていて、それに気づいていないとしたらどうでしょうか。

きっとそんなのは嫌だと思うはずです。

でもそれが私たちが認識している世界です。

誰かに付けられたブリンカーによって遮られたごく一部の世界しか認識できていないことを知るのはとても重要なことです。

そして、いつの間にか付けられたブリンカーに気づくには、抽象度を上げていく(ブリンカーをつけた人より高い抽象度の高いゴールを持つ)ことが必要になります。

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