電車がホームに滑り込んでくると僕は突然シャッターを切った。
まだスピードが落ちていない電車を写真に捉えたいと不意に思ったからだ。
咄嗟の行動だったのでシャッタースピードも露出もカメラ任せにした。
でき上がった写真を見ると、やはりシャッタースピードが追いついておらず、電車の先頭の姿は流れ、イメージしていた電車の輪郭をしっかりと捉えた写真とはならなかった。
しばらくその流れた写真を眺めていると、これはこれで良いなと思えてきた。
なんだか自分の姿と重なるような感じがしたからだ。
僕はいつも先を目指している。
誰かがその姿を捉えられるよりも速く、そして先へ。
いま大勢の人がはっきりと理解できることよりももっと先を目指して走っている。
他の人が捉えている僕のはっきりとした輪郭は、僕が過ぎ去った後の残像だ。
その時、僕はもうそこにはいない。
もし、誰かにはっきりと分かることをやっているのだとしたら、僕はまだまだ小さく、そして遅いと思う。
誰かにいま理解されることではなく、後に分かる人には分かることを良しとする。
僕がいま何をやっているのかが理解できない、は最高の褒め言葉だ。
誰かと競争することではなく、人類がまだ捉えられていないものを発見することに興味がある。
僕はいまこの瞬間も誰にも捉えられないことを思考している。
カメラのシャッタースピードをどれだけ上げても捉えられないほどに。