『マインドの教科書』の原稿の作成に取り掛かった時には、21ある各章の終わりに「コラム」とルー・タイスに関する「エピソード」を交互に掲載したいと考えていました。各章の本文や用語解説がコーチング理論の中心部分だとすると、「コラム」と「エピソード」を入れることで、コーチングの背景なども併せて分かり、コーチングを学びやすくなると考えたからです。
そして、その構想通りに一通りの原稿を書き上げた段階で、編集会議で構成を練ったところ、「コラム」と「エピソード」を入れると、煩雑な印象となり全体の纏まりが無くなるので、「コラム」と「エピソード」は外し、「ワーク」を手厚くした構成になることが決まりました。
そのため、その時に書いた「コラム」と「エピソード」はお蔵入りとなったのですが、出版された後にそれも読んでもらえる機会を作りたいなとも考えていました。そこで、こちらにその時に書いた「コラム」と「エピソード」を順次掲載していきたいと思います。
推敲を重ねた原稿ではないので荒削りのままですが、その「コラム」や「エピソード」の原稿を読むことで、コーチングの背景なども分かり、コーチングの本体も更に理解しやすくなるかもしれません。『マインドの教科書』と共にお読みくださればと思います。
以下に掲載するのは、その中の1つ目のコラムです。
未収録原稿【コラム】コーチングの歴史①コーチの語源
コーチング(Coaching)とは、馬車を表すコーチ(Coach)という言葉から来ています。このコラムでは、なぜ馬車をコーチ(Coach)というようになったのかの歴史をお伝えしたいと思います。
中世の頃、コマーロムというハンガリー西北部の要塞都市の近くに、コチ(Kocs)という村がありました。そのコチ村は、現在のオーストリアの首都ウィーンとハンガリーの首都ブダペストを結ぶ重要な街道の宿場町の一つとして栄えました。日本でいうと東海道の宿場町のような感じでしょう。
コチ村には、宿場町として輸送業者や旅人などが休息を取るために立ち寄っただけではなく、当時の主要な輸送手段である馬車を製造したり、修理したりする馬車職人も住むようになりました。
15世紀には、コチ村にいる腕の良い馬車職人達によって、世界ではじめて緩衝装置付きの4輪馬車が作られました。現代の乗り物に、スプリングなどの緩衝装置が付いていないことは考えられませんが、その時代には画期的な発明だったのです。
コチ村製の馬車が発明される前までは、きっとガタゴトと地面の振動が直接乗客に伝わってくる馬車がコンフォートゾーンだったはずです。道路も舗装されていなかったでしょうから、乗り心地は相当悪かったことでしょう。
その中で、コチ村の職人達が、コンフォートゾーンの外側にゴールを設定して、常識に囚われずスコトマを外し「緩衝装置付き馬車」を考えついたのです。
コチ村製の「緩衝装置付き馬車」馬車の発明により、馬車によって高速で快適な長距離移動ができるようになりました。そうして人々のコンフォートゾーンを変えていったのです。
更に、その当時、現在のオーストリアとハンガリーの領地を統治するマーチャーシュ王という王様がいました。この王様は旅好きであったそうで、コチ村製の馬車に乗って、ウィーンとブダペストを行き来したり、領土の内のあちこちに旅に出ていたようです。
そして、コチ村製の馬車がすっかり気に入ったマーチャーシュ王や後続の王達は、それをヨーロッパの各国の王様などにプレゼントしました。これによって、当時画期的な馬車であったコチ村製の馬車はまたたく間にヨーロッパ全土へと広まっていきました。
ハンガリーではコチ村製の馬車をコチ(Kocs)という地名から取って”kocsi”と呼びました。そして、ヨーロッパ各地に広がる中で、コチ村製の馬車(kocsi)は、それぞれの国の言葉で呼ばれるようになりました。ドイツ語では[Kutsche]、フランス語では[coche]、そして英語では [coach]と名付けられました。これが馬車をコーチ(Coach)と呼ぶようになった由来です。
そのため、コーチという言葉には、単に輸送手段としての馬車の意味だけなく、今まで無かった画期的なものであるという意味も含まれているように私は感じています。
15世紀に作られたコチ村製の馬車は、コチ村にあるコチ博物館に復元されて展示されています。コーチの語源を訪ねるため、実際にコチ村を訪ねて、役場の人にコチ博物館を案内して頂き、ここに書いた歴史をお聞きしました。
日本からコチ村を訪ねてきたのは初めてらしく、コチ村の村長さんも是非会いたいと出てきて下さいました。
鉄道や高速道路ができた現在では、主要な街道からは離れ、今は住人も300人ほどの小さな村となりましたが、カッコウの巣が電柱の上にあるような、のどかでとても穏やかな素敵な場所でした。
コチ博物館の壁に展示されていたパネルの一つにコチ村からヨーロッパ各地に馬車が広がっていった様子を描いた地図がありました。ヨーロッパの東側にあるコチ村を中心として、西に向かってヨーロッパ全土に矢印が力強く大きく広がっていました。
その絵を見ながら、「全ての重要な変化は、はじめにマインドの内側から始まって、外側へと広がる」というルー・タイスが教えてくれたマインドの重要な原則が私の中でこだましていました。
『マインドの教科書』
田島大輔著
苫米地英人監修
開拓社
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