目の前の水面が夕陽を受けてキラキラと光っていました。その輝く水面をぼんやりと眺めていたら、その上で飛び跳ねたり、水の中に潜って自由に泳いでいるイメージが湧いてきました。きっと泳げないほど水温は低いでしょうが、想像の中では自由自在です。
でも目の前に広がる水面は、一体なんの一部なのでしょうか。海の一部なのでしょうか、それとも湖の一部なのでしょうか。
海か湖、どちらかによって塩水か淡水かも違いますし、そこで遊ぶために準備するものも、出来ることも、そこに棲息している生物や植物も違うでしょう。
かなり大きな湖であったのだとしたら、見ているだけでは海との違いも分からないかもしれません。
でも、上空から見れば、海か湖かは分かるでしょう。
逆に水面まで行って水を舐めたり、匂いを嗅げば分かるかもしれません。
更には、生まれた時から水の中に生息していたとしたら、自分は海に住んでいるのか、それとも湖に住んでいるのかなんて考えさえもしないかもしれません。
日ごろ生活をしている場所やシステム、自分がこれから飛び込もうとしている場所やシステム、そこは海なのか湖なのか。
見た目は同じ水のようでいて、そこで受ける制約や束縛は両者でだいぶ異なります。
そのことに気がつくのは、そこから実際に外に飛び出してみた時か、そこにいながらも視点をかなり上げて俯瞰して観た時でしょう。