立ち寄ったカフェテラスのサンシェードに木の枝葉が浮かび上がっていました。
強い陽射しに照らされた木がサンシェードに影をおろした様は、反対側から眺めるとまるで水墨画のようにも見え、火照った身体の体温を2、3度下げてくれたようにも感じました。
その水墨画のようなサンシェードを眺めながら、目の前にある見えないものについて思いを巡らせていました。
もし、その木を照らす強い陽射しがなかったならば、サンシェードはその木の存在を隠し、白いキャンバスにしか見えなかったでしょう。
サンシェードの向こう側にある木の枝葉は、手を伸ばせば届きそうなほど近くにあるにもかかわらず、自らの力だけでは自らの存在を私に知らせることができなかったでしょう。
強い陽射し、つまり太陽がその枝葉の存在や容姿をサンシェードに浮かび上がらせ、私はそれに気付くことができたのです。
その太陽は、私達の持つゴールのメタファーのように感じました。
ゴールがあるからこそ、目の前にあったものが浮かび上がり、それを認識できるようになるのでしょう。
無いと思っているモノは、たいてい目の前にあるものです。
ただそれに気付かないとしたら、それを照らす太陽、つまりそれを照らすゴールを持っていないだけなのです。
?サンシェードでもその存在を隠せないほどに、強く輝く太陽をマインドの中に?