平凡と非凡を分けるもの

平凡なコーチを目指す人はいないでしょう。またわざわざ平凡なコーチを求めるクライアントもほとんどいないでしょう。コーチは非凡であることが求められ、コーチ自身も何かしらで非凡でありたいと願いそのために精進を重ねているはずです。

コーチではなくても、特にこのブログを読んでいる人は、平凡でありたいと思っている方は稀だと思います(平凡であることを望んでいる人を否定しているわけではありません)。


【平凡】これといったすぐれた特色もなく、ごくあたりまえなこと。またそのさま。

【非凡】平凡でないこと。普通より特にすぐれていること。また、そのさま。

『デジタル大辞泉』より


 

それでは、非凡になるためにはどうすればいいのでしょうか?

すぐに思いつくのは次の3パターンです(他にもあったら教えて下さい)。

(1)誰にでもできることを、誰にでもできる程にやる(平凡)
(2)誰にでもできることを、誰にもできない程にやる(非凡)
(3)誰にもできないことを(誰にもできない程に)やる(非凡)

 次にそれぞれについて考えてみます。

(1)誰にでもできることを、誰にでもできる程にやる(平凡)

これが「平凡」そのものであることは理解可能だと思います。

 

(2)誰にでもできることを、誰にもできない程にやる(非凡)

誰にでも(真似)できること、誰にも真似できないほどにやる。

(「誰にでも」というのは少し言い過ぎのものもあるので、「大多数の人」がというぐらいの感覚でも良いです)

大抵の人は、誰にでもやればできることを、程々にやる程度か、やらないかのどちらかです。

だから平凡なのでしょう。

しかし、抜きに出ている人、非凡だと思われている人は、大抵、誰にでもできそうなことを、誰にも真似できないほどにやっています。

1回や2回、数回やるのは平凡でも、それが何千回や何万回もやり続けることができる人は非凡な人と思われるでしょう。

でも人が真似できないほどにやり続けられるかどうかは、やはりその対象が好きであることや、心から望むゴールがあるからです。

単に精神論でやり続けないさいといっても、好きでなければ、心から望んでいるゴールがなければ、やり続けることはできないものです。

そのため、非凡になるために必要なことの一つは、心から望むゴールを持つことです。

 

(3)誰にもできないことをやる(非凡)

誰にもできないこと、できなかったことをできる人は非凡だと言われるはずです。

誰にもできないこと、できなかったことをやるためには、心から望む抽象度の高いゴールをもっている人、(人類やある集団にとって)現状の外のゴールを持っている人達でしょう。

平凡なゴールを持っていて、誰にもできなかったことを成し遂げることは、それこそ困難です。

 

結局、平凡か非凡かは、生まれ持っている才能ではなくて(それが全く不要だとは言い切れませんが)、その人の持っているゴール次第でいかようにもなるということです。

 

 

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