高野山の奥の院にある灯篭堂(とうろうどう)内には、1000年近く燃え続けている二つの「消えずの火」があります。
一つは、祈親上人が献じた祈親灯(きしんとう)。もう一つが、白河上皇が献じた白河灯(しらかわとう)です。それぞれ、貧女の一灯(ひんにょのいっとう)、長者の万灯(ちょうじゃのまんとう)とも呼ばれています。
1000年に亘り、多くの人々が関わり絶やさずに守り続けたその火には、連綿と続く歴史とともに多くの人々の込められ思い、そして単なる火を超えた尊大なものさえ感じました。
そして同時に、もし蝋燭の火を絶やさない(灯し続ける)という抽象度のゴールだけでは、決してこの火を今日まで灯し続けることができなかったであろうとも感じました。
蝋燭の火という物理抽象度を超えた何かしらのゴールがあるからこそ、人々はそのゴールのコンフォートゾーンとしてその火を灯し続けてきたのでしょう。そしてこれからも。
私達は何かを継続したいというゴールを設定しても、それが継続できないことが多くあります。
その継続できない理由は、継続したいという対象の抽象度を超えたゴール(より高い抽象度のゴール)を持っていないからです。
何かしらを継続したいと思っても継続できない場合は、そのようなゴールを持っているかチェックしてみてください。
もし無ければ、それを継続しているのが当然のコンフォートゾーンであるゴールを見つけて下さい。
【追記】
リバティーコーチング株式会社も明日7月1日で創立6年目を迎えます。
この間、事業を継続してこれたのは、もちろん事業を継続するというゴールを超えたゴールを持っているからです。
そのため、事業を継続するのはゴールではなく、その抽象度の高いゴールの当然のコンフォートゾーンとして存続していることを「消えずの火」を見ていた時に改めて感じました。
そして、これからも連綿と続く火となろうということも。